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嵐との思い出って、当たり前にそれぞれにあって。

デビュー当時からファンの人にも、昨日からファンの人にも、それは誰にとっても等しく綺麗で幸せで楽しくて。

 

ここぞという時に、嵐のファンは強い。

なんてったって、乗り越えてきた山の数が違う。

 

みんなが願う瞬間まで、きっと短いようで長いんだろう。

でも、わたしたちには思い出がちゃんと足りてる。

 

 

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的外れなお話かもしれないけれど。

仕事を辞めるならば、3ヶ月前に退職願を出すという常識。

この人たちは、2年近くも前にみんなに伝えた。

最後の最後まで優等生。

 

あの頃のひとつひとつ、思い返せば最後だったかな、なんて。

 

翔くん。

あなたが宝箱に閉じ込めたかったという嵐は、ほんとうにキラキラしていて、どこを切り取っても完璧だった。

嵐として守りたいもの、なにひとつ失わずに最後の日を迎えられるといい。

 

 

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昇りっぱなしじゃないから、ちゃんと降りてもいくんだと思うから。その景色も5人で見たい。

 

嵐を自分の全てだと言う人です。

自分たちの曲で素直に泣いてしまうような人です。

 

人気がなくなるって、そういう考え方がこの人たちにはないんだと思う。

相葉さんの言う“降りていく”ときの景色って、5人にとっては多分、分からないけど、そう悪いものでもないんだと思う。そこに、終わりがあるわけじゃないから。

やってることも関係性も変わらない。その安心感に、きっとわたしたちずっとついていける。

 

 

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別に。

助けてもらっちゃいない。

 

でも、上手くいかないとき思い出すのはこの人たちの言葉で。もといた場所までちゃんと連れ戻してくれたりする。

 

本当に泣きたいとき、聞きたいと思うのはこの人たちの歌で。聞き慣れたお馴染みの歌声に、あったかくて泣きながら笑ってたりする。

 

何かをしてもらったとかしてあげたとか、そんなことどうでもいいくらい本当は助けてもらっている。

自分勝手な話で飽きたとか離れたとか、そういう言葉は平気で飛び交うけれど、今じゃなく思い出として、根っこにあるのはこの人たちの笑顔だったりする。

ずーっと見てきたから。

相葉さんが嵐でいる以外の人生が考えられないと言ったのと同じくらい、自分のなかに嵐がいないなんて想像もつかない。

 

 

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嵐はみんなの夢でありたい。

翔さんがそんなことを言ったのは、いつのことだったか。

 

パジャマでうだうだしていた頃からは想像もつかないくらいこんなに遠くまで来た。

 

もう長いことトップを走り続けてきて見えなくなったもの、どれだけあるんだろう。

 

なんだろうこの人たち、って思うんです。5人で内側を向いてまとまっているから、外側がどんなに広くても居場所を見失わない。絶妙な距離感でもって引き合っている。それが、4でも6でもなく、5だったから。

 

テレビではなく、コンサートを見ていると。ああ、この人たちのホームってここだなって。数万人のペンライトの海の中で360度にお辞儀をしながら、手を振りながら、歌って踊ってはしゃいで笑って。

大の大人が人生をかけて作っているその空間の幸福度。

5人以外ではありえないというその意味を。

 

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5人が横に並んで歌っている姿に弱い。

ぎゅっとちいさくまとまって、肩を組んだり顔を見合わせたり。

 

思うに。

嵐のファンの人が願うことって、結局のところ5人が揃っていてくれること、これに尽きると思うの。

誰ひとり前に出ることなく、遅れることなく。

“ともに”

仕事仲間に、ましてや家族にだって照れ臭くて言えないこんな言葉をいとも簡単に口にしたりする。

家族でも友達でも仕事仲間でもないという5人。それ以上のなにか。

 

めんどくさい朝も落ち込んだ帰り道も、あの頃からずっと耳に馴染むのは5人の声で。どんな季節にも嵐の歌があって、懐かしさで思わず笑ってしまう。

当たり前にそばにいる。